子ども育成条例

2010年02月19日

本日は、子ども育成条例についての講演会がありました↓子ども育成条例




























これは、今問題となっている浜松市子ども育成条例に権利を入れるか入れないかに付随しての会ですが、ここでは後者の方。
若干、偏りがあった感は否めませんが、これについての僕なりの考えはこうです。
教育の目的は、子どもが立派な大人になり、この複雑化した社会で生きていけるように成長させること。
その時に、必要以上の子どもの権利は無用です。

子どもは生まれながらにして、適切に権利を行使できる程、賢くはありません。
だからこそ、大人が導くべきです。
そして、大人自らが実践し、模範となるべきです。

権利を抜いた現在の形(理念型)の子ども育成条例を策定し、それぞれの客体が子どもの健全育成に向けて努力していかなければなりません!



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Posted by 山崎しんのすけ at 09:48│Comments(18)日々の活動記録
この記事へのコメント
>子どもは生まれながらにして、適切に権利を行使できる程、賢くはありません。

若い世代の議員さんが、このような考え方をお持ちなのかと、残念です。

我が子は、障がいをもっているので、立派な大人にはなれないと思います。
子どもの権利が認められない場合、立派な大人になれない子どもは、どうなりますか?

そもそも、立派な大人とはなんでしょうか?
Posted by すみれ at 2010年02月19日 13:01
すみれさん


ありがとうございます。
意見が分かれやすいテーマだけに、色んな視点から考えることは大事だと思っていますので、感謝しています。

僕は学者じゃありませんから、定義を答えるつもりはありませんが、「立派な大人」とは、子どもたちの模範となる存在だと思っています。

もちろん、障がいをもたれた方には厳しい現実だと思いますし、僕の身内にもおりますからお気持ちも分かります。

でも、そうした子ども達のためにすべきことが本当に権利を付与することなんですか?

そうした子どもを見守るべき大人の意識を変えることの方が、ずっと本質的だと思います。
また、健常者だろうとそうでなかろうと、模範たる大人像を見せることこそが、大事だと思います。

今、いたずらに権利を付与して、一体理解できる大人がどれだけいて、どれだけ子どものための社会が作られるのか、疑問でなりません。

今回の件、ご指摘のような障がいをもたれた方を否定するようなものでは決してありませんので、誤解されないで頂ければと思います。

じゃなければ、理念条例なんて出す必要もありませんから。

追伸。

引用された部分に関しては、どうなんでしょう?
実体験からしても、幼い時から判断能力の欠如から色々な失敗をしてきました。
今、自分の子ども(2人います)を見てもそう思います。

すみれさんのお考えがあれば教えてください。
Posted by 山崎しんのすけ山崎しんのすけ at 2010年02月19日 15:00
>子どもは生まれながらにして、適切に権利を行使できる程、賢くはありません。

権利は行使するものというより、守るものではありませんか?。
互いの権利を保障し合うこと。
私は、人権とはそういうものだと思っていました。
自分で自分の権利を守ることができない弱い存在だからこそ、子どもの権利を保障し、守ってあげる必要があるのだと思っています。

また、浜松市の場合は「子ども育成条例」ですから、子どものための条例と言うよりは、大人が守り心がける条例という位置づけですよね?
それなのに、子どもの権利の保障を入れないという考え方が、よくわかりません。

また、「必要以上の権利」とはなんでしょうか?
子どもの権利条約に書かれている権利に、「必要以上」のものがあるのですか?
具体的にはどんな権利をいうのでしょうか?
日本は子どもの権利条約に批准しています。国民は、それを守る義務があります。
もし「必要以上」であり、子どもに良くない権利がうたわれているのであれば、是非その点を教えていただきたいと思います。

よろしくお願いいたします。
Posted by ぴよぴよぴよぴよ at 2010年02月19日 17:44
私が二十年以上勤務した高校は、赴任当時俗に「底辺校」と呼ばれ、荒れた学校でした。
テレビドラマのように長いスカートを履いた不良学生が授業を妨害し、暴力、喫煙、飲酒、万引き事件なども起こり、昼休みに暴走族が敷地内にバイクで侵入することもありました。
新米教員だった私は、生徒指導係として服装検査を担当し、夜間補導や時には張り込みもしました。生徒たちと向き合うことは全力投球、授業も真剣勝負だった。生徒に手をあげたこともあったし、退学処分になった生徒のために涙を流すこともありました。
体力的にも精神的にもきつかったものでしたが、毎日が充実し本当にたくさんの事を学ばせてもらいました。その一つは、教員としてのスキルです。
新任当初は、生徒たちを静めたり従わせたりするだけで精一杯。「威厳」や「恐怖」をその手段と考えることもありました。実際、いかにも「先生」という威厳を漂わせて生徒を緊張させ、規則や威圧感を盾に従わせるという教員も少なくありません。勤務校でも当時、毎日生徒を殴ることを勲章のように自慢する教員までいました。生徒のわがままを許さないという大義名分のもとに。
もちろん生徒を叱る時に自身の感情をさらけ出すことも、時には感情的に見せかけることもスキルの一つです。有無を言わせない雰囲気が必要な場面もあります。しかし教員として経験を重ね、叱ったり従わせたりすることが容易になるにつれ、それに頼ることの安易さと危険性を実感するようになりました。
なぜなら、従わせるだけでは人は育たないばかりか、「威厳」や「恐怖」に包まれた環境は生徒自身に、力関係を優先する誤った価値観を植え付けてしまうからです。教員を前にした表裏や生徒間での優劣、いじめを容認する雰囲気を作ることはあっても、お互いの傷みを感じられる生徒は決して育ちません。
生徒を従わせるだけの教員は、教員としての資質に欠けるという点で、生徒を叱れない教員と何ら変わりはありません。
大切なことは、生徒をコントロールできるスキルを持ちながらもそれを乱用せず、生徒と同じ目線に立ち、その痛みを自分のものとして感じ、心の成長を支えることです。それこそが、人の心が育つ上で最も大切なスキルではないでしょうか。
校長や生徒課長などが全校生徒の前で話をするときも、ザワザワと静まらない。しかし、私が壇上に上がった時にはサッと静かになったものです。「静かにしろ!」なんて叫ぶわけでもありません。それは多くの生徒たちとの信頼関係があったからです。「威厳」や「恐怖」で子どもの心を育て、良い方向に支えてゆくことはできないのです。「規則が人を育てる」わけではありません。人が人を育てるのです。子どもをコントロールできない大人が「威厳」や「恐怖」に頼って言うことを聞かせようとし、子どもを静かにさせられない大人が声を荒げるのです。そして、人を育てられない人が規則に頼るのです。
これは家庭でも社会でも同じです。子どもを従わせるだけの親のもとでは、劣等感が強く、その裏返しで人を見下す子が育ちます。子どもをコントロールする自信のない大人は、子どもが権利意識を持って精神的に自立することを恐れます。
「権利」を全てわがままと切り捨てる人は、権利とわがままを見極めることのできないという点で、「わがまま」を全て権利であると主張する人と何ら変わりありません。
大切なのは、「子どもはわがままなもの」「子どもに権利なんて与えたらわがままになってしまうだけだ。」などと短絡的に判断するのではなく、大人も子どもも「権利」の大切さを学ぶことではないでしょうか?
そういう意味で、この集会でのご意見や、このブログのご意見は稚拙で勉強不足を感じざるを得ません。
Posted by koss at 2010年02月19日 22:46
ぴよぴよさん


コメントありがとうございます。

>自分で自分の権利を守れない弱い存在だからこそ・・・

ごめんなさい。
そういう発想で教育が上手くいくとは到底思えません。

子どもに権利を与える前に、大人に義務を課すことの方がずっとましです。
また、子どもを保護する法整備は可能だと思います。

権利の保障といいますが、具体的にどういう権利をお望みなんでしょうか?
そして、それが叶ったとき、どういう社会が生まれるのでしょうか?

児童の権利条約。
国際的な解釈は様々ですが、これにより日本がこれまでの法体制を変えたとの話は聞いたことがありません。

この条約を日本は批准している。
そして、自治体レベルで策定しているところもあれば、理念条例を策定しようとしている浜松もある。

これを超える権利が今のところ必要であると考える材料を僕は知りません。
勉強不足かもしれませんが、何回も述べているように自分の教育理念に沿って考えたとき、育成条例は是だが、権利条例は否であるとの見解は変わりません。

ぴよぴよさんの考えている教育の筋を聞かせて下さい。
権利条例の先にある世界を教えてください。

単なる批判よりも、僕は、もっと前向きな話をしたいんです。
権利を重視してばかりでは、前向きな話ができないと思います。
Posted by 山崎しんのすけ山崎しんのすけ at 2010年02月20日 01:30
KOSSさん


コメントありがとうございます。

威嚇と恐怖というメッセージが伝わってきますが、それは明らかに違うと僕も思っています。

ただ、そこから権利という発想へ繋がるのがいまいち理解できません。

威嚇と恐怖を与えようと考える教師や親を是正することが第一ですよね?

短絡的に権利=わがままなんて毛頭思ってもいません。
権利の大切さを学ぶことも大事でしょう。
権利といっても、多種多様。
当然認められる権利もあれば、はきちがえては困る権利もあると思います。

そういう経験ってありませんか?

僕自身も、そして周りの現場でも、権利でひとくくりにされてはいけない状況に直面していることが多々あります。
Posted by 山崎しんのすけ山崎しんのすけ at 2010年02月20日 01:49
山崎さんのコメントを読んで、とても悲しくなってしまいました。返事ができる心境ではありませんでした。

>僕は学者じゃありませんから、定義を答えるつもりはありませんが、「立派な大人」とは、子どもたちの模範となる存在だと思っています。
もちろん、障がいをもたれた方には厳しい現実だと思いますし、僕の身内にもおりますからお気持ちも分かります

我が子が否定されたようで・・この気持ちは、本当に山崎さんにはわかっていただけるのでしょうか?
2名の方のコメントを読んで、私の気持ちをもう一度伝えようと思いました。
権利は与えるものではなくて、子どもの権利条約で認められているものです。
「ありのままでいる権利」は、障がいをもった子どもがそのままでも認められることです。
子どもの失敗することはあって当たり前ではないでしょうか。大人だって、失敗します。失敗をするから権利を与えないとは、大人の模範がなるというより、大人が子どもを支配して罰を与えるということのように受け取れます。

>意見が分かれやすいテーマだけに、色んな視点から考えることは大事だと思っていますので・・

このようにお考えなら、結論を出す前に、きちんと市民と議論することが必要ではないでしょうか。
Posted by すみれ at 2010年02月20日 01:51
すみれさん

後半部分については、そういう気持ちもないわけではありません。
できるだけ、両サイドの意見を聞いた上での条例制定が望ましいと思います。

ただ、この条例については、かつてないほど色々な団体と議会も行政も話をされています。
また、当然制定後に修正することも可能です。

前半部分について。
子どもの権利条約ではなくて、「児童の権利条約」ですが、制定の趣旨が違うと思います。

ありのままでいる権利があったとして、果たして手放しで喜べるのでしょうか?また、権利以外の代替案はないのですか?

最後に、大人の失敗と子どもの失敗を同類と考えることは、ちょっと理解に苦しみます。
Posted by 山崎しんのすけ at 2010年02月20日 02:29
威嚇と恐怖というメッセージが伝わってきますが、それは明らかに違うと僕も思っています。
ただ、そこから権利という発想へ繋がるのがいまいち理解できません。


①私は、「威嚇」ではなく「威厳」と書きましたが。。。読み間違いですよ。
②私が「威厳」と「恐怖」とを並列して書いたのは、子どもにとって心理的「脅威」となりうるものを、日常的にあるものと極端なものとを並列して、より理解しやすいように書きました。
「威厳」とは、「近寄りがたいほど堂々としておごそかなこと。」という意味です。私はそれを全否定しているのではなく、「有無を言わせない雰囲気が必要な場面もあります。」とコメント中でも述べています。
しかし子どもが教育者や親に対して、わがままではなく自分の正しいと思う意見を言えないような関係は、信頼関係ではなく服従関係です。そして、自分の考えを自由に述べることができるのは権利ですよね?民主主義の社会においても。
ところが、その「権利」を恐れるということは「『威厳』や『恐怖』に頼って言うことを聞かせようと」することと同じであり、その危うさを教育現場での経験を通して学んだことを通して理解していただきたかったわけです。
でも、少し難しかったのかもしれませんね。教職経験者の中にも、「大人が威厳をもつことの何が悪い?」と、とんちんかんな反応を示す方も少なくないでしょうから。特にこういった「子どもの権利」というものを恐れる欠ける方々は。


>威嚇と恐怖を与えようと考える教師や親を是正することが第一ですよね?

まさにその通りです。
条例の中にもそのための文言が盛り込まれているのでしょうね。
そして、それらから子どもを守るための文言も必要ですよね。


>短絡的に権利=わがままなんて毛頭思ってもいません。
権利の大切さを学ぶことも大事でしょう。
権利といっても、多種多様。
当然認められる権利もあれば、はきちがえては困る権利もあると思います。
そういう経験ってありませんか?
僕自身も、そして周りの現場でも、権利でひとくくりにされてはいけない状況に直面していることが多々あります。

まさにその通りです。
私自身も述べました。
「『権利』を全てわがままと切り捨てる人は、権利とわがままを見極めることのできないという点で、『わがまま』を全て権利であると主張する人と何ら変わりありません。」と。
山崎さんは「必要以上の子どもの権利は無用です。」とおっしゃっていますよね?必要以上の権利は「権利」とは言いません。ただの「わがまま」です。「わがまま」を認めるべきではないのは当然のことなので、「権利」は「権利」として峻別して尊重するのは当然ですよね?ならば条例に「子どもの権利」を入れることを恐れる必要はありませんよね?
「子どもの権利」を恐れるのは、「わがまま」と「権利」の違いがわからないから全て一緒に考えているからなのでしょうか?
それとも「権利」を明記すると、時として「わがまま」と「権利」の違いがわからない大人や子どもがいて、そういった人への対応ができないから条例という「権威」に頼りたいということなのでしょうか?

いずれにしても、山崎さんのコメントは感覚的な答えや「理解に苦しみます。」というようなものが多すぎます。
固定観念や思い込みを取り払って、もう少し論理的に熟慮をお願いします。

最後に、山崎さんは「権利を重視してばかりでは、前向きな話ができないと思います。」とおっしゃっています。
まさにその通りです。
同じように私は集会に対しても、山崎さんの書かれたブログに対しても、
「権利を否定してばかりでは、前向きな話はできません。」
と申し上げたいと思います。
Posted by koss at 2010年02月20日 04:55
KOSSさん

色々ご丁寧にありがとうございます!
また、語句の間違え大変失礼致しました。
普段は起きていない時間だったんですが、皆さんのコメントと自分の考えとを突き合わせていたら、眠れなくなってしまいました。
多分、それで思考能力も低下していたと…
あと、夜ってやっぱり駄目ですね!
無意識に過激な言葉が出てしまう。
論文書くなら朝が良いと、誰かが言った通りです。

KOSSさんのご指摘、共感できる点が多々ありました。
勉強になります。

今、移動中なので、多くはお返事できませんが、またじっくり考えさせて頂きますね。
それから、ネット上ではなく、直接お会いできたらとも思いました。

僕の周りの権利主張派は、過激(熱心)な方が多いので、冷静にお話できる方とコミュニケーションしたいからです。
Posted by 山崎しんのすけ at 2010年02月20日 08:58
私も先日の会に参加していました。
講師の八木氏が唱えていた「大人が子どもを健全に育む責務」には同じように思います。
しかし、健全育成条例と権利条例を対比して論じることには違和感を感じます。

「浜松市の「子ども育成条例」は理念条例だから権利は要らない。」との考え方も一理あると思います。
しかし、それは、浜松に子どもの権利条約が要らないということではありません。

山崎さんは、浜松の子どもたちに「権利と義務」を教えたいと思いませんか。教える必要があると思いませんか。
私は、子ども達に「権利と義務」を伝えるためには、子どもの権利条例が必要ではないかと思います。

山崎さんがおっしゃる「必要以上の権利」とは、先日の講演で具体的な主張として示された生徒人権手帳の中の「セックスをするかしないかを決める権利」「飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利」などを指しているのでしょうが、このような権利を多くの子どもが主張すると思いますか。
こんなことを事例に、子どもの権利を否定している大人を見て子どもが健全に育つとは思えません。

山崎さんが、必要と考えられる子どもの権利条例を市民とともに議会に提案してはいかがですか。
Posted by ペチャ at 2010年02月20日 09:41
昨今は子供を厳しく躾ることの出来ない親御さんが増えているのは残念ながら事実だと思いますし
山崎さんがおっしゃりたかったのは
子供に寛容すぎる社会への警鐘を鳴らしたいという思いからではないでしょうか。
子供との信頼関係のある先生の話は静かに聞くけど、他の先生のときはザワザワしたまま、
これが正しい教育とは自分には思えません。
権利権利と主張せず
人の話をしっかり聞く姿勢や、
危険な場所やインターネットのサイトなどにちゃんと若いひとには制約を持たせるなどの取り組みが必要だと思います。

もう一つ、山崎さんの発言に
「障がい者を否定された」と思うのは過剰な反応ではないでしょうか?

山崎さんがおっしゃる「若者の権利を限定する」という考えは若者を否定するためのものでは無く
まだ未熟な「若者を守るため」の考えだと思います。
Posted by jing at 2010年02月20日 10:51
ぺちゃさん


ありがとうございます。

僕も、もちろん「権利と義務」を子どもたちに教えていきたいと思っていますし、自分自身、それから多くの親御さんにも同様に必要なことかと思います。

先日の会は、ブログでも認めているように、かなり偏った話もありました。
特に、ご指摘のような権利の列挙のところでは、そのまま鵜呑みにするわけにはいきません。

一部の人は、信じきっているようですが・・・

最後のご提案、そういうことができたらすばらしいですね!
議会としても、行政に任せっきりではなく、独自の案を出すことができたら本当に意義深いものだと思います。

その前段階として、やはり権利と義務の教育。
それからkossさんのコメントにもあったように、権利とわがままの違い。

こうした点をすっきりさせてからでも、権利を明文化するのは遅くないかと思います。
また、育成条例に後付して修正するのも、インパクトありますよね。
Posted by 山崎しんのすけ山崎しんのすけ at 2010年02月20日 12:49
Jingさん


コメントありがとうございました。

ご指摘、おっしゃるとおりですね!
過激になりすぎた点、反省しております。

またJINGさんに限らず、コメントを頂いた方に対する返答も、(深夜だったという理由もありますが)言い過ぎたところは、何卒ご容赦ください。

でも、おかげで多くの反応を頂き、数日前に比べて本件についての認識を深めることにつながっています。
感謝感謝です。

子どもの権利は、もちろん全否定ではなく、先ほどぺちゃさんに返答した内容のように、もっと様々な議論だとか教育をしてからでも遅くはないと思います。

世界から遅れていると言う方もいらっしゃいますが、やはり日本の中で、もっと突っ込んだ公平性のある議論積み重ねていき、それを多くの人に知ってもらうことが必要ですね。
Posted by 山崎しんのすけ山崎しんのすけ at 2010年02月20日 12:57
私個人とお話しをするよりも、教育学を学ばれたほうがお勉強になると思いますので、そちらをお勧めします。特に「陶冶」などという前近代的な理念ではなく、実存主義的教育論に触れてみてはいかがでしょう?E.フロムやボルノウあたりの書物を熟読されることをお勧めします。

「障がい」ということに関しても、少しでも現場に触れて、広汎性発達障がいなどいろいろなタイプの障がいや精神疾患などについて理解を深められると、子ども一人ひとりの「わがまま」と「権利」の違いが理解でき、集会のような内容がいかに浅薄で短絡的なものかが少しは現実のものとして感じていただけるものと思います。

JINGさん

子供との信頼関係のある先生の話は静かに聞くけど、他の先生のときはザワザワしたまま、
これが正しい教育とは自分には思えません。

>それは当たり前ですよね。
よく意味がわかっていらっしゃらないようなので、面倒ですが補足説明します。
私が説明したかったのは、「声を荒げて静かにさせることは簡単なこと。子どもを服従させることも簡単なこと。しかし、それでは子どもは精神的に成長できない。」ということです。
この例ですと、「静かにさせることはさせることが教育」と思うことが、大きな間違い。
信頼感があれば、静かになることは当たり前です。教育力が未熟だから、「静かにさせなければならない」のです。
信頼感を持てる人の話は聞ける、信頼感の持てない人の話は聞けないというのは、子どもでなくても人間なら当たり前のことですよね?どんな人間であっても目上の人の言うことを聞かなければならない、なんていうのは民主主義ではないですよね??
これまでの教育の間違いは、子どもを押さえつけることに頼ってきたことにあるのです。
権利意識を育てないから、「わがまま」と「権利」の違いが大人も子どももわからないのです。自分の権利がわかっていれば、わがままがどういうことかもわかるのです。
そして大人の側は、権利意識を育てられないから権利という言葉を恐れるのです。
「子供を厳しく躾ることの出来ない親御さん」とおっしゃいますが、「親御さん」の問題だとお考えですか?前述したように、子どもの権利意識を育てずに「わがまま」と「権利」の違いを学ばせようとしない、そして自身も学ぼうとしない社会の責任ではないでしょうか?
この集会のような意見もまた実は、「わがまま」と「権利」の違いのわからない子どもを育てるのです。今までの子ども(私たち大人)と同じように。

熟読していただき、内容を理解していただけることを祈ります。


山崎さん

今後のお勉強とご活躍をお祈り申し上げます。
Posted by koss at 2010年02月20日 18:18
はじめまして。

わたしは、子ども育成条例のことは、昨年のパブリックコメントの募集の際に初めて
知ったので、まだまだ勉強不足ですが、やはり子どもの権利が明記されていないことが
問題だと思います。

そもそも「子どもの権利」とは、特別に与えられるものではなく、もともとみんなが
持っていて保障されるものです。義務を果たす代わりに保障されるわけではありません。

山崎さんには、国連の「子どもの権利条約」を読んでいらっしゃるか、最初にお尋ねしようと
思っていましたが、読んでいらっしゃらないことがわかったので、がっかりしました。

2月20日1:51にすみれさんが「子どもの権利条約」と書いてらっしゃることに対して、
2月20日2:29に山崎さんが、“子どもの権利条約ではなくて「児童の権利条約」です”と
返していますが、「子どもの権利条約」で合ってますよ。

正式和訳名称は「児童の権利に関する条約」ですが、一般的には「子どもの権利条約」と
呼ばれています。(「児童」というとき、法律によって対象年齢が違うので、
おそらく誤解のないように「子ども」という言葉を使っているのだと思います。)

「児童の権利条約」と略しているのは見たことがありません。

ユニセフのサイトにも、「子どもの権利条約」と記載されています。
子ども向けの条文抄訳も載っているので勉強になります。

http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html

議論するには、最低限の知識は必要だと思います。

浜松市の子ども育成条例に子どもの権利を明記するように!と言ってるのは、
なにも、「子どもの権利条約」を超える特別な権利を!と言ってるわけではありません。
誤解のないよう、お願いします。

子どもの権利が明記されていないこと以外で問題だと思うのは、すべての子どもを
対象としているとは思えない点です。
いろいろな子どもがいます。いじめや不登校に悩んでいる子ども、障がいや疾病を
かかえた子ども、外国人の子ども。親から虐待を受けている子ども。
家庭の形も様々です。里親家族、ステップファミリー・・
そういった様々な子どもや家庭があるという視点が足りないと思います。

そして、条例制定のプロセスも問題です。
まず市が、事前に他の地方自治体の「子ども条例」を調査研究している様子が
全くありません。専門家の意見を聞くこともなく、条例案を作っています。

そして、国の法律ではなく条例だからこそ地域に根差したものをつくるべきなのに、
浜松の子どもたちの置かれている現状をふまえているとは言えません。

パブリックコメントがあったとはいえ、市民の意見を聞いてつくっていく、
という姿勢が全く見られません。

権利を明記することに関しても賛成と反対の意見があります。
そういった点は、やはり議論をしていく必要があると思います。

このままでは、行政も議会も市民も、子どもの権利について理解不足なまま
条例ができてしまいそうで不安を覚えます。

私は以前は、市政については広報や新聞報道などで知るのみでしたが、昨年の夏頃から
自分からも興味を持って関わっていかないと!と思うようになりました。
(山崎さんのブログは先月から拝見しております。)
ブログで情報発信をされている市議会議員さんは少ないので、これからも
読んでいきたいと思っています。

子ども育成条例については、私もまだまだ勉強不足で他の方に何か言える立場では
ありませんが、山崎さんにもこれから子どもの権利や子ども育成条例について
理解を深めていっていただきたいと思います。
Posted by さくら at 2010年02月22日 19:52
KOSSさん


色々とありがとうございました!

教育学ですか、これまであまり触れる機会がなかったので、少しずつ勉強していきたい思います。

権利意識を健全に育てていくために、勉強もする、現場にも足を運ぶ。

言葉では簡単ですが、現実に行動に移せるよう、また定期的なご指導お願いいたします。
Posted by 山崎しんのすけ山崎しんのすけ at 2010年02月23日 13:12
さくらさん


コメントを頂き、ありがとうございました。
また、常にブログもご覧頂いているとの事で、大変ありがたく存じます。

ご指摘のどれも非常に参考になりますので、勉強させていただきます。

ただ、プロセスについては条例を作ろうという前段階から、既にドラマがあるということをご理解頂きたいと思います。

3年前に初当選した鈴木康友市長は、マニフェストの一番に「こども第一主義」を掲げました。
これは、もちろん子どものために様々な施策をやっていくんだという意気込みの表れだと思います。

ただ、どちらかというと子どもを育てる世代を応援していく施策が中心でした。
例えば医療費の助成の拡大。保育所の増設・・・

そんな中で、議会からの質問もあり、マニフェストの一番柱を取り出して条例化しようという機運が高まっていったのです。

よって、市長の命を受けて作成する行政職員は、このような流れと趣旨を受け、あくまでも育成条例という位置づけで走り出したんだと思います。
そして、大人が、社会がその役割を認識することが大事だということを理念として掲げたかったんだと思います。

ここから先はご指摘の通り。

意見収集や集約方法には、批判はつき物ですから、どこかでまとめていかなければなりませんが、やはり議論はもっとあってもいいかなと思います。

特に、これまでのコメント内でも書かれているような権利と義務、わがままの違いについて。

この辺がクリアになれば、権利もすっと条例内に入り込むことができるのかもしれません。

さくらさん。
現時点では、こんなことしか言えませんが、まだまだこれで終わりではありませんので、今後も興味を持って頂いて、何なりとご意見をお願いいたします。
Posted by 山崎しんのすけ山崎しんのすけ at 2010年02月23日 13:42
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